忽那諸島とは

忽那諸島は、広島・山口の県境にあります。松山市高浜港から中島まで、高速艇で約20分、フェリーで約1時間です。6つの有人島と20余りの無人島で構成されており、居住者は主に柑橘栽培と漁業で生計を立てています。東から「野忽那島」・「睦月島」・「中島」・「怒和島」・「津和地島」・「二神島」が並んでいます。
野忽那島

野忽那諸島の東端にあり、四国本土に最も近い島。安和年間(968~70年)に北条から人が来て住み始めたと伝えられています。『忽那嶋開発記」には「野島」と記録されていますが、野というのは親島である忽那島に対して、という意味のようです。忽那重平が地頭になって忽那氏が治めるようになり、野忽那島になったと言われています。明治時代頃から戦後にかけて、反物の行商で活況を呈していました。現在は半農半漁となっています。
【面積】0.92㎢ 【周囲】5.2㎞ 【標高】おいらん山 96m
睦月島

忽那諸島の東部、野忽那島の西に位置します。東側の尾根は変成岩の急傾斜地で、西側は花崗岩で崩れやすいですが、傾斜はゆるやかです。急傾斜地を除く一面に柑橘円が広がります。海岸沿いの立派な長屋門の住宅は大正時代の建築が多いです。島名の由来は①伊予王子と和気姫のこの「ムツキ」が流れ着いた。②河野家の祖先が島に逃げ落ちたときに月が出ていなかった「無月」。③災いが続いたので字を改めて「無須喜」にしたという説、などがありますが、定かではないそうです。
【面積】3.81㎢ 【周囲】9.6㎞ 【標高】高松山 218m
中島

忽那諸島最大の島で、かなりの面積が柑橘園となっています。天平19年(747年)の『法隆寺伽藍縁起幷流記資財帳』には「骨奈嶋一処」とあり、かつては忽那島と呼ばれていたようです。平安時代は豪族忽那氏の本拠地でした。南北朝時代に全盛期を迎え、西瀬戸に勢力を張っていましたが、その後、豊臣秀吉の天下統一とともに衰えていきました。中島と呼称するようになったのは、南朝年号の興国年間(1340~46)頃とされています。大三島付近を上島、中島付近を下島と呼んでいたようです。江戸時代には松山藩領・大洲藩領・天領地とに分割統治されていました。(松山藩領では風早島、大洲藩領では忽那島と呼んでいました)商品作物の島となり、主力作物もショウガ、除虫菊、玉ねぎと移り変わりましたが、近年は全国でも有数の柑橘の島となっています。
【面積】21.27㎢ 【周囲】30.0㎞ 【標高】大里山 296m
怒和島

忽那諸島西部、中島の西に位置する島です。古くは二名島と言われていました。①あたりが沼地だったので沼(ぬま)が変化して怒和(ぬわ)になったという説や、②神功皇后が挑戦征伐のとき島の沖を通過したところ、荒れて怒っていた海が和やかになったので怒和になったという説があります。『忽那嶋開発記』には、天授元年(1375年)、地頭 忽那又三郎重氏に讃岐伊賀野領家職ならびに郡家内公文職を兵粮料としてあてがわれており、南北朝の頃は忽那氏の一族によって支配されていたようです。天正13年(1585年)、豊臣秀吉の四国攻めで焼き払われ、中心地だった宮浦から、現在の上怒和、元怒和に移ったと伝えられています。
【面積】4.75㎢ 【周囲】14.7㎞ 【標高】高田山 206m
津和地島

西隣の山口県周防大島町の諸島(もろしま)と、わずか700mを隔てる県境の島です。古くは「津和」とあり、和やかな大きな入り江(津)のある場所のことです。口伝では最初に生活を始めたのは安芸国蒲刈島の人たちで、西端の竹の浦に住んだとされる。『忽那嶋開発記』には「寛治年間(1087~94年)、藤原親朝が忽那諸島を開発した」とあるものの、鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』文治6年(1190年)4月19日付「内宮の役夫工作料の未済成敗する所々の事」という鎌倉から京都への注進状には、「周防国 津和地沙汰人行能使に相向いて弁済し畢(おわ)んぬ」とあり、当時は周防国(現・山口県)に属していたようです。藩政時代は松山藩領で、河村瑞賢の開発した西回りの航路の船、幕府の年貢米輸送船、一般商船などが寄港して繁栄しました。
【面積】2.85㎢ 【周囲】10.4㎞ 【標高】旗山 163m
二神島

忽那諸島の南西部にあり東西に細長い島。西へ4㎞のところに山口県屋代島(周防大島)があります。島の名前は南北方向から見たときに同じような円錐形状の山が二つあり、その頂を神(上)と見立てて崇め、二神(二上)と称したとされています。鎌倉時代後期から室町時代にかけて、長門国から豊田氏の分家が来島し、二神の姓を名乗ったとされています。『忽那嶋開発記』には、二神島の古名は「松島」とありますが定かではありません。しかし島には今も「松島神社」が荒神山にあり、かつては松島学校、銭湯の松島湯、松島旅館、松島老人クラブなどがありました。
【面積】2.13㎢ 【周囲】8.9㎞ 【標高】米山 184m
ふるさとを知る(販促品)
「忽那諸島ものがたり」

中島地区まちづくり協議会は、ふるさとを知るガイドブックとして令和2年10月1日に小冊子「忽那諸島ものがたり」を発刊致しました。上述した各島の歴史や史跡の謂れなどについてまとめています。親子で、親しい近所の人たちで、忽那諸島を訪れた人と、この小冊子を手にしながら一緒に回っていただければ嬉しく思います。
A4サイズ / 39ページ / 150円
「中島 ふるさとかるた」

中島公民館、中島中学校と共同で発行したかるた。
監修:田島明志 氏(俳句・文)、横山直心 氏(絵)
200円
「絵葉書 なかじまものがたり」

たなかあつし氏による中島の原風景がふんわりとしたタッチで
描かれた絵葉書。
13枚入り/ 200円
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